Manual Commons_1.Urbanism
- 11-1studio
- Apr 11
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「都市は、容量(HD)ではない」
マニュアル・コモンズ(Manual Commons)とは、単なるDIYの延長線上の話ではありません。それは都市論であり、建築論であり、これからの社会をどう運営していくかという「自律のための思想」です。

<2026年 都市 東京>
「今日、人々は、未来を思い描く仕事を専門的エリートに譲り渡してしまいがちである。(中略)産業主義的な道具は、都市の風景に均一化の刻印を押す。ハイウェイ、病院、事務所ビル、アパート……どこでも同じ外観を取る」(イヴァン・イリイチ 『コンヴィヴィアリティのための道具』)
2026年、今の東京には2つの対照的な、しかし根底でつながった風景があります。
1つは、華々しくオープンした大規模再開発施設。
もう1つは、2020年前後に「地域活性」を掲げて誕生し、契約期間(5年)の終了とともにひっそりと閉鎖される小さな民間施設の数々です。

<HDとOSのちぐはぐな関係>
ここには共通した「構造的な欠陥」があります。
それは、建築を単なる「HD(ハードディスク=容量)」と捉え、その中身を実績ある運営者や流行のブランドという「OS(ソフト)」で埋めればいいという短絡的な思考です。
そこでの建築は、10GBより256GBが良いといった「容量」こそが正義となり、機能と切り離された部位に「デザイン監修」という名目の表層的なトッピングが施されます。実態を伴わない単なるイメージ戦略としてのデザインを、デザイナーや建築家が担わされています。

<Ugly Building Tour>
近所に「首都圏最大級」と銘打ってオープンし、わずか3年で撤退し、文字通り「空き箱」となってしまった真新しい商業ビルがあります。中身のOSは一流で、内装も申し分ありませんでしたが、建物自体の「道具としての使い勝手」は置き去りにされていました。
また最近池袋にオープンした高層複合施設も、同様に使い勝手が悪いハコで、危うい未来を感じます。「ウェルビーイング」や「オーガニック」といった流行の言葉を謳うOSで固め、今は話題性で賑わっています。しかし、その中身(OS)が立ち行かなくなったとき、残るのは「人々の手ではどうにもできない巨大な空き箱」だけではないでしょうか。

<自律して生きる都市へ>
この「全自動で、かつ不自由な都市」のあり方に、切実な問いを投げかけます。
マニュアル・コモンズが目指すのは、お仕着せのOSを消費するだけの場所ではありません。「使う人が自らハンドルを握り、書き換え、育てていける『道具』としての場所」です。
これは単なるデザインの好みの話ではありません。
私たちがこの街で、誰かに依存しすぎず「自律して生きていくための権利」を取り戻せるか。今の都市にとって、極めて切実な分水嶺になっています。

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