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「建築系」と「まち系」の分断

  • 11-1studio
  • May 1
  • 4 min read

最近、多くの大学の建築学科に「建築系」と「まち系」という分類が生じているようだ。

「建築系」はいわゆる「作家としての建築家」的な昔ながらの意匠系だが、「まち系」はおそらく時代の要請に応じて最近できたものだろう。昔だと都市計画系というのがあったが、どちらかというとそれは行政的もしくはNPO的な、制度色の強いものだったように思う。「まち系」は地域拠点づくりや都市のパブリックスペース、不動産的な、もう少し経営的で実戦寄りな意味合いがある。そして「まち系」は建築学科だけでなく色々な学科に存在するようだ。


11-1studioのような地域の場を運営しながら設計事務所をやっていると、様々な「まち系」の人に出会う。特に若い世代だとほとんどがこの「まち系」だ。そしてそこにはどこか新しい風のようなものを感じる。

また不思議なことにこの場所では「建築系」の人には全くと言っていいほど出会わない。

例えば「建築系」の人に外で会って「自分はこんな場所を運営している」という話をしても、実際にこの場所まで足を運ぶ「建築系」の人は非常に稀だ。

自分自身は11-1studioを「建築系」でもあり「まち系」でもある統合されたものとして考えてきたつもりにも関わらず、だ。


多くの人と話すと、「建築系」と「まち系」の間には思いの外大きな分断があることがわかってくる。

「まち系」から見た「建築系」に対する印象として見聞したものを総合すると、

彼らはとても閉鎖的で、排他的で、数少ない認められた人たちが内輪で批評という名の誉め合いをし悦に入っている。綺麗な作品写真が撮れてメディアに取り上げられれば目的達成で、肌触りの実感や使う人の感覚がない言葉遊びと手法の世界に明け暮れている

のだと言う。


逆に「建築系」から見た「まち系」に対する見聞を総合すると、

彼らは功利的もしくは刹那的で、そもそも設計力が弱い(もしくは設計専門外の)人がやるもので、どこかチャラい印象がある、もしくは場合によっては二束三文のボランティアのようなことをやっていて物好きのようなものだ

のだと言う。


そして「建築系」の人たちは「まち系」のやることを、流行りに乗っかった所詮は刹那的なもののように見て興味を示さないし、「まち系」の人たちは「建築系」のやることをちょっと動きの遅い旧態依然とした内輪サロンのように見て興味を示さない。驚くほどこの分断は大きい気がする。


先日あるトークイベントでこんな対話をして分かったことがあった。

自分はこの双方の双方に対する無関心さに対して腹が立っているのだが、結局のところその無関心は長いタイムスパンでのビジョンのなさが双方に欠けているからではないかということだ。

「建築系」で綺麗な竣工写真を撮ってメディアに取り上げられることがゴール(それが結局地位を築き仕事を増やす近道)の人々には、多分その建築がその地域でどのように使われどのように貢献していくのか、それは本当に設計意図通りに使われ続けるのか、という視点が欠落している。

一方で「まち系」で、風のようにやってきて何か一時的なイベントや実験を行って「可能性」を示してそこで自己満足して終わり(結局のところ新しい仕事=新しい土地に行くこと)な人々には、根付いてそれを日常にしていくという地味だけど本質であることに対する視点が欠落している。これは「まち系」も結局それがビジネスになれば、そうしないと金が回らないという限界を示しているように思う。


イタリアにはProggettistaという言葉があるらしい。

イタリアでいうところの建築家やデザイナーの総称だが、批評家・多木陽介氏によればプロジェクトを最初から最後までやる人ということだ。この当たり前のことのようにも見える定義が、実はすごく本質的なのだと思う。

つまり「プロジェクト」には終わりがない。何か目指す状態を達成するのにある程度の時間を要するし、達成したところでまた新たな発見や問題が浮上したりするのでそれをも取り込んで手入れをし続けて理想の状態を目指していく。

一方で、日本で「建築系」にしろ「まち系」にしろ、ほとんどが取り組んでいるのは「プロジェクト」という名の「業務委託」なのかもしれない。業務とは「終わらせる」ためのもので、この枠組みでしか評価されない現状ではいずれの系のやっていることも結局は刹那的な産物に過ぎないのではないだろうか。

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