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Manual Commons_2.Tectonics

  • 11-1studio
  • Apr 16
  • 3 min read

手応えのある作法と風景


マニュアル・コモンズ(Manual Commons)とは、壮大な都市論であると同時に、極めて具体的な工法論でもあります。それは高尚な専門領域ではなく、本来誰もにとって身近で手の届く範囲のものです。


<道具>

イヴァン・イリイチは、人間が主体的(自律的)に生きるための道具を「自律共生的道具」と呼びました。


‘自律共生的道具とはそれを用いる各人におのれの想像力の結果として、環境を豊かなものにする最大の機会を与える道具のことである。産業主義的な道具は、それを用いる人々に対してこういう可能性を拒み、道具の考案者たちに、彼ら以外の人々の目的や期待を決定することを許す。’

(イヴァン・イリイチ 『コンヴィヴィアリティのための道具』)


ブラックボックス化された複雑な機械ではなく、構造が目に見え、自分の手で直し、工夫し、使いこなせるもの。11-1studioを象徴する、透明アクリルの壁面に並べられた金槌やノミ、簡素なハンドツールには、かつて誰もが持っていた、世界を自分で変えられるという確かな「手応え」が宿っています。



これらの道具が並走した、東京の戦災復興と高度経済成長期。「普通の市民」も「小中高生」もこういう簡素な道具を駆使して、乏しい資源を調達/加工/転用して、配線回路をいじって、必要なものを作って、修理して、時には製品化して売り出していました。

しかし今や「普通の市民」の多くは「担当者」でなければ何も分からないし何も直せないホワイトカラーと化し、メーカーやディベロッパーやマスコミや行政から一方的に与えられる「サービス」を消費するだけの状態を甘受していします。この「依存」こそが、今の都市の不自由さの正体です。



<ブラックボックスを解体する>

一方的な「サービス」の甘受は、まさに今、コストの高騰という形で我々に跳ね返ってきています。

どのように調達し、加工し、転用し、作り、必要なものを入れるのか。それは決してブラックボックスではありません。しかし今や多くの人々はそれを専門外だと遠ざけ、結果として一方的なコスト高騰を受動的に受け入れるか、もしくは質の低い妥協を強いられています。


2月に行ったエンツォ・マーリ『Autoprogettazione』のPチェアをつくるワークショップにおいては、このイタリアの巨匠デザイナーが意図した「誰でも作れる(マニュアル性)と高い審美性(デザイン)の両立」という作法を追体験し明らかにしました。

プロの設計事務所があえて「手の届く工法」を突き詰める。そこにこそ、一般の人々が壁を感じずに、プロの精度で場所をドライブし始められる鍵があると考えています。



<製造業の街の記憶をOSへ>

11-1studioがある池袋・要町エリアには、今も町工場の音や、製造業の痕跡が微かに残っています。 かつてこの街では、場所は「与えられるもの」ではなく、自分たちの手で「作るもの」でした。 その街の記憶を、現代の「空間OS」として再構築すること。 特殊な工法に頼らず、身近な資材と道具で、誰もが「一本の線の強さ」を空間に刻めるようにすること。

工法とは、単なる組み立て方の手順ではありません。 それは、場所の主導権を自分の手に取り戻すための「作法」なのです。


そんな作法を、マニュアル・コモンズでは追求していきます。

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